日本の心を伝統の技術に託す忠保の甲冑

甲冑の歴史 手並べ小札

大鎧の詳細 | 腹巻・胴丸の詳細 | 当世具足の詳細

大鎧は平安時代に入って武士が興る(おこる)と共に、武将が着用した晴れの第一武装として、実用と意匠の両面において、日本独特の発展を遂げました。騎馬による射戦が中心であったため、馬上での活動を自由にし、鞍の上で安定をはかるため、どっしりとした草摺(くさずり)をつけ、兜は眉庇(まびさし)が大きく垂れて顔を覆うなど、弓矢に対するさまざまな工夫がはらわれています。その後、戦いの形態が変わると、重い大鎧から、軽快な胴丸を着用するようになり、さらに改良が重ねられました。
騎馬用の大形の大鎧に対して、小型で足さばきを考えて草摺を細分した、徒歩用の武具です。胸から腹部にかけて正面だけを覆った様式と、これをさらに背後に延ばし背面中央で引き合わせた様式があり、兜は必要に応じて筋兜が用いられました。14世紀になると、騎兵に不都合な山岳戦や打物(刀やなぎなた)の合戦が盛んになると、武将たちも重い大鎧よりは軽快な胴丸を着用するようになり、さらに改良が重ねられました。
天文12年(1543)、ポルトガル船が種子島に鉄砲を伝えて以来、戦闘様式が一変。防御に完全を期すと同時に、軽くてしかも俊敏な活動性が求められ、当世具足と呼ばれる新形式の甲冑が生み出されました。鎧は頑丈なものが考案され、兜は弾をよける面具などもつくられました。

関ヶ原の役以降は、甲冑も時々の観兵式用として用いられるのみとなりましたが、その時代の人々が、機能性と同時に美しさをも追求して生まれた日本甲冑の見事さ、その高い気品は、外国の甲冑には見ることができません。

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